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福岡地方裁判所小倉支部 昭和42年(ワ)721号 判決

原告 田仲熊憲

右訴訟代理人弁護士 三代英昭

被告 有限会社便利堂商会

〈ほか一名〉

右被告両名訴訟代理人弁護士 有村武久

被告 くろがね運送有限会社

〈ほか一名〉

右被告両名訴訟代理人弁護士 篠原武夫

主文

被告有限会社便利堂商会および同中野博は、各自原告に対し金一三四万〇、二三一円およびこれに対する昭和四二年一〇月一九日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告有限会社便利堂商会および同中野博に対するその余の請求を棄却する。

原告の被告くろがね運送有限会社および同高成寿に対する請求を棄却する。

訴訟費用中、原告と被告有限会社便利堂商会および同中野博との間に生じた分は、これを四分し、その三を右被告両名の負担とし、その一を原告の負担とし、原告と被告くろがね運送有限会社および同高成寿との間に生じた分は、原告の負担とする。

この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

ただし、被告有限会社便利堂商会および同中野博において各金六〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

原告訴訟代理人は、「被告らは、各自原告に対し金一七四万〇、二三一円およびこれに対する被告高成寿は昭和四二年一一月一九日から、その余の被告らは同年一〇月一九日から各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は、被告らの負担とする。」との判決および仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

(一)  原告が、昭和三九年一一月七日午前一一時一〇分頃単車を運転して、自宅から北九州市八幡区中央町方面に向け国道三号線を進行中、同区西通町一丁目被告有限会社便利堂商会(以下被告便利堂という。)前にさしかかった際、右商会前の道路左側に停車中の被告便利堂保有の軽四輪自動車に右自動車の運転者である被告中野博が乗車しようとして、突然運転席の右扉を開けたため、折柄右自動車の右側を進行中の原告運転の単車の後輪に右扉が接触し、原告は右単車もろとも国道上に転倒したところ、原告運転の単車に継続していた被告高成寿運転の被告くろがね運送有限会社(以下被告くろがね運送という。)保有の一〇屯クレーン車が、さらに右転倒した原告を単車もろとも右国道上を約一〇米押し進めたため、原告は右下腿および足部挫滅創等の傷害を負うに至った。

(二)  原告は、右傷害のため即日安部整形外科医院に入院し、同日から昭和四〇年一〇月三一日まで三五九日間にわたり入院治療を続けたうえ、退院後も昭和四一年二月一三日まで約一〇五日間にわたり通院治療を受け、現在なお自動車損害賠償保障法施行令別表第八級の一〇(労働基準法施行規則別表第二身体障害等級表第一〇級の一〇に該当。)に該当する後遺障害を残している。

(三)  右本件事故は被告中野の自動車扉開扉時の周囲の状況確認義務違反ならびに被告高の追従車の車間距離保持義務および安全運転義務違反の各過失により発生したものであり、被告便利堂は被告中野運転の軽四輪自動車の保有者であり、被告くろがね運送は被告高運転のクレーン車の保有者であるから、被告らは連帯して原告の右損害を賠償すべき義務がある。

かりに、被告便利堂および同くろがね運送に自動車保有者としての責任がないとしても、使用者として右損害を賠償すべき義務がある。

(四)  原告の本件事故による損害は次のとおりである。

(1)  金三八万三、四七三円 昭和四〇年中の逸失利益

原告は三菱セメント株式会社北九州事業場にクレーン係として勤務していたが、昭和三九年一一月七日の本件事故による傷害のための入院により労働に従事することができなかったことにより次のとおり減収した。すなわち、

(イ)  昭和三九年中の給与所得(同年一一月、一二月稼働しておればこれよりも多額となるはず。)

支払総額  金八八万九、五〇七円

所得税額  金 四万二、九〇〇円

差引実収額 金八四万六、六〇七円

(ロ)  昭和四〇年中の給与所得

支払総額  金一五万七、九六二円

所得税   なし

(ハ)  昭和四〇年中の健康保険組合から受給した傷病手当金受給額 金三〇万五、一七二円

右の(イ)から(ロ)(ハ)を差し引くと金三八万三、四七三円となる。

(2)  金一〇万一、六八五円 昭和四一年中の逸失利益

原告は昭和四一年から勤務会社に出勤し、後遺障害の関係から軽作業に従事するようになったが、同年の総収入は金八八万〇、九七五円であった。

しかし、原告が仮に本件事故に遭遇せず引き続き事故前の職務に従事することができたならば、昇給、賞与、諸手当等を含めて昭和四一年中少くとも総収入が金九八万二、六六〇円になるはずであったから、同年中金一〇万一、六八五円を減収したことになる。

(3)  金三二万〇、〇七三円 昭和四二年一月一日以降停年退職となる昭和四五年六月三〇日(正確には昭和四五年七月五日であるが、計算の便宜上六月三〇日とする。)までの間の逸失利益

原告は右三年六ヶ月の間引き続き前同様一年間に少なくとも金一〇万一、六八五円の減収となるので、これを複式ホフマン式計算法により現在の価額にすると、次の計算により金三二万〇、〇七三円となる。

101,685円×3.1477=320,073円

ホフマン係数三、一四七七は三年が二、七三一〇三、四年が三、五六四三七であるのでその中間をとる。

(4)  金一〇〇万円 慰藉料

原告は、本件事故による受傷のため三五九日間の長きにわたって入院治療をうけ、さらにその後一〇五日間にわたって通院治療をうけ、その間多大の精神的、肉体的苦痛をうけたが、なお前記のとおり高度の後遺障害が残り、勤務先においては永年の仕事から転職のやむなきに至った。

そればかりでなく、従来停年退職をした同僚はおおむね勤務会社の紹介により関連下請会社の同職種の職場に勤務することによって停年退職後の収入を確実に得ることができたが、原告は現在の後遺障害によりこれもほとんど望めなくなったうえ、他の職を求めることも甚だ困難となったし、現在は永年勤務した会社の好意により相当程度の収入を得ているが、退職後は仮に再就職し得ても満足な収入を得ることは不可能であることが予想され、この不安感から生ずる精神的苦痛も亦甚大である。

家庭にあっては長男が県立高校生として優秀な成績を修め将来大学進学を楽しんでいたのを断念せざるを得なくなった等の原告の精神的苦痛も亦大きい。

原告の停年退職後の稼働年数は、政府の自動車損害賠償事業における損害の填補を算定する際に用いられている「就労可能年数および新ホフマン計算式読み替係数表」によるとなお十余年間あるから、この間の収入減も相当額に上るものと推測されるが、その算出方法の困難性によりその損害の賠償を求めていないことも、本件慰藉料額の算定にあたっては充分考慮されるべきものである。

以上によれば、本件事故による原告の慰藉料は金一〇〇万円を下らないというべきである。

(五)  そこで、被告らは各自原告に対し右合計金一八〇万五、二三一円の損害を賠償する義務があるが、原告は被告らから見舞金として金六万五、〇〇〇円を受領しているので右金額を差し引くこととし、原告は、被告らに対し各自右残額金一七四万〇、二三一円およびこれに対する各被告らに対する本件訴状送達の日の翌日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるため、本訴に及んだ。と述べ、被告便利堂および被告中野の抗弁に対し、「過失相殺の抗弁の原告に過失があったとの事実は否認する。」と述べ、被告くろがね運送および同高の抗弁に対し「抗弁事実を否認する。」と述べ(た。)

立証≪省略≫

被告便利堂および同中野訴訟代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決および仮執行免脱の宣言を求め、答弁として、「原告主張(一)の事実中、原告が原告主張の日時、場所において単車に乗って進行中交通事故で受傷したこと、当時被告便利堂前に同被告保有の軽四輪自動車が停車していたこと、右自動車に被告中野が乗車していたこと、原告が転倒したところ後方から走行してきた被告高運転、被告くろがね運送保有の一〇屯クレーン車に単車もろとも路上に押し進められて受傷したことは認めるが、その余の事実は否認する。同(二)の事実中、原告が安部整形外科医院に入院しやがて退院したことは認めるが、その余の事実は不知である。同(三)の被告中野に過失があったとの事実は否認する。同(四)の(1)ないし(3)の事実は不知であり、(5)の事実は争う。本件事故は、被告中野が被告便利堂前道路に停車中の自動車の後方を廻って同車の右側の扉を開いて運転台に坐り、正に扉を閉め終らんとするに先立ち、わずか扉が約三〇糎足らず開いているときに折から後方より疾走して来た原告の単車の後部荷台に接触し、原告が転倒したところに被告高運転のクレーン車が追突して発生したものである。そして、原告は、自車の進路前方に被告便利堂の自動車が左側歩道に接着して進行方向に向けて停車し、被告中野がその後方を道路左側から右側に迂回して右側の扉から乗車するのを目撃したのであるから、原告としては、被告中野の挙動に注意し、自車の側方あるいは右後方を直進して来る被告高の車の進行状況により、被告中野の車が停車していて自車の進路を狭められていたので一旦停車するかあるいは速度を緩めて被告高の車に進路を譲るかすべきであったのに、原告が、被告高の車にのみ気を奪われて、被告中野の車すれすれに進行し、被告高の車の進路前方に乗り出したため、本件事故が発生したものであり、本件事故は被告中野の開扉行為によって起ったものではなく、原告の右のような一方的過失により起ったものである。」と述べ、抗弁として、「(一)かりに被告中野にも本件事故について幾分過失があったとしても、原告にも前記のとおり過失があったものであるから、過失相殺がなされるべきである。(二)また、被告便利堂は被用者である被告中野の選任およびその監督について相当の注意をしていたので、被告便利堂には使用者責任はない。」と述べ(た。)立証≪省略≫

被告くろがね運送および被告高訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決および仮執行免脱の判決を求め、答弁として、「原告主張(一)の事実は、本件事故が発生したことは認めるが、その状況は争う。同(二)の事実は不知である。同(三)の事実中、被告くろがね運送と被告と高の雇傭関係は認めるが、その余の事実は否認する。同(四)の事実は不知である。」と述べ、抗弁として、「(一)被告中野には本件のような際は自動車の右側扉を開けて乗車することを差し控えるか、右側扉を開けて乗車しようとするならば後方からの交通状況を注視しその安全を確認して事故を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠った過失があり、原告は被告高のクレーン車の左側を時速約四五粁で追い越したのであるが、被告高のクレーン車は停車中の被告中野の車の右側から約一米位の間隔で右側を進行していたのであるから、原告は前方を充分注視して事故の発生を未然に防止すべき義務があるのに、これを怠り、時速四五粁の高速でそのまま進行した過失があったものである。(二)これらの過失によって原告は単車もろともすでに二米位の距離に接近していた被告高のクレーン車の前方にはね出されて転倒したものであるから、被告高には、他の安全な措置に出ることは期待しえなかったもので、原告主張の車間距離保持義務違反および安全運転義務違反はない。(三)被告高運転のクレーン車はクラッチが故障していたが、運転には支障なく、このことと本件事故とは因果関係なく、その他右クレーン車には構造上の欠陥または機能の障害はなかった。したがって、被告くろがねおよび被告高には損害賠償義務はない。」と述べ(た。)≪証拠関係省略≫

理由

(事故の発生)

原告が昭和三九年一一月七日午前一一時一〇分頃被告便利堂前道路上において交通事故により受傷したことは、当事者間に争いがない。

(被告らの責任と原告の過失の有無)

≪証拠省略≫を綜合すると、当日原告は、単車を運転して国道三号線を時速約二〇キロメートルで進行中、被告便利堂前にさしかかったが、その進路前方の道路の左側の被告便利堂前にその所有の軽四輪自動車が駐車してあった。そして、右自動車の運転者である被告中野は、右自動車に乗車しようとして、右自動車の後方を廻って運転席横の右扉を開いて乗車したのであるが、途中右自動車の後方で原告の単車が後方を進行して来るのをみて安全に乗車できるものと考え、その後は原告の単車に注意することなく、乗車し右扉を閉めようとしたところ、閉め終らない右扉に原告の単車が接触して、原告は単車もろともその進路右斜前に転倒した。そして、原告が転倒したところは折柄原告の単車の右斜後方を進行中の被告高運転のクレーン車の進路に当っていたため、原告は右クレーン車の右前車輪に圧迫されて、右下腿および足部挫滅創等の傷害を負うに至ったこと、一方原告は、右駐車中の自動車の約九メートル手前で被告中野が右自動車の右後方から右扉のところに行くのをみたが、同人が右扉を開けようとは思わなかったので、右自動車の右横に人が一人位おれる間隔をあけてその傍を通過しようとしたところ、予期に反して前記のとおり被告中野が右扉を開けたため、本件事故が発生したものであること、被告高は、その運転するクレーン車が原告を右前車輪で圧迫するまで原告には全く気付いていなかったことを認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

右認定事実によれば、被告中野としては、右のように道路左側に駐車中の自動車にその右扉を開いて乗車しようとするときは、後方から来る車の進行に支障がないように扉を開けて、事故を未然に防止する注意義務があるのに、これを怠り、右扉に原告の単車を接触させて転倒させたのであるから、過失の責任を免れないので、被告中野は本件事故によって生じた損害を賠償する義務がある。

つぎに、右認定事実によれば、被告高は、本件事故発生まで原告の単車に全く気付いていなかったのであるが、原告が前記のように突如自己のクレーン車の進路上に転倒することなど予見すべくもなかったものというべきであるから、被告高には過失はない。

また、前記認定事実によれば、原告としても、被告中野がわずか約九メートル後方から原告が進行して来るのに右扉を開けることなど予見すべくもなかったというべきであり、前記証拠によれば、原告が被告中野を認めて駐車中の自動車との間に同人がおれる間隔を開けてその傍を通過しても、被告高運転のクレーン車の進路に乗り出すことはなかったことを認めることができるので、原告には被告便利堂および同中野主張のような過失はなかったものであるから、右被告両名の過失相殺の抗弁は理由がない。

≪証拠省略≫によれば、前記駐車中の自動車は被告便利堂の所有であり、当時その被用者である被告中野が右自動車に乗って被告便利堂の業務のため出発しようとして、本件事故が発生したものであることを認めることができ、自動車損害賠償保障法第三条但書の主張も立証もないので、被告便利堂の抗弁(二)について判断するまでもなく、被告便利堂は同法第三条本文により運行供用者として、本件事故によって生じた損害を賠償する義務がある。

さらに、前記のとおり被告高には過失はなく、したがって被告くろがね運送にも右クレーン車運行について過失はなかったものというべきであり、前記のとおり本件事故は第三者である被告中野の過失によって生じたものであり、前記証拠によって認められるように、当時右クレーン車のクラッチが故障してはいたが、運転には支障なく、このことと本件とは因果関係なく、本件事故は右クレーン車のその他の構造上の欠陥または機能の障害によるものでもない。したがって、自動車損害賠償保障法第三条但書により被告くろがね運送には本件事故の損害賠償の義務はない。

(損害)

そこで、本件事故によって生じた原告の損害についてみることとする。

≪証拠省略≫によれば、原告主張(四)の(1)ないし(3)のとおり原告に逸失利益合計金八〇万五、二三一円のあったことを認めることができる。

≪証拠省略≫によると、原告は前記認定の傷害を受け、昭和三九年一一月七日から昭和四〇年一〇月三一日までの約一年間の長期間にわたり入院治療を受け、その後昭和四一年二月一三日まで通院治療を受け、そ間相当の精神的、肉体的苦痛を受け、右足関節に運動障害の後遺症を残し、昭和四〇年一二月一日から勤務先の三菱セメント株式会社に復職したものの右負傷のため職種を転ずることを余儀なくされたものであることを認めることができる。

以上の事実に、本件事故の態様、原告の年令、職業その他諸般の事情を考慮すると、原告の本件事故による精神的、肉体的苦痛に対する慰藉料は金六〇万円が相当である。

そして、原告が被告らから見舞金として金六万五、〇〇〇円を受領したことは、原告の自認するところである。

(結論)

そこで、被告便利堂および同中野は、各自原告に対し右損害金合計金一三四万〇、二三一円およびこれに対する損害発生の日の後で本件訴状送達の日の翌日である昭和四三年一〇月一九日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるので、原告の本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余の被告便利堂および同中野に対する請求ならびに被告くろがね運送および同高に対する請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九号、第九二条、第九三条を、仮執行の宣言およびその免脱の宣言について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 矢頭直哉)

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